【車内放送】長野経由福井行時代の急行「能登」(489系 能登版「鉄道唱歌」 上野発車前~発車後)
HTML-код
- Опубликовано: 29 окт 2017
- 97年7月、上野-福井間489系夜行急行「能登」車内放送を収録。北陸新幹線(長野行き)開業前は信越線経由で福井まで運行されていました。当時は、高崎までは通勤急行的な役割も担っており、長野までは最終「あさま」的な役割もあり利用者も多かったように記憶しています。上越線経由となり、高崎線の通勤列車増発で停車駅も少なくなった結果、「能登」の利用者は大きく減ったように思います。
車内放送は「鉄道サウンド広場」(本館)で多数公開中!
railway-sound.travel.coocan.jp/ Авто/Мото
懐かしいですね。
このころの急行能登、金曜日は下手すると上尾くらいまで座れないこともありました。
熊谷あたりでようやく空いて、二人席を独り占めで寝られますが、横軽のガガガの振動で目が覚めるのもお約束でした。
そして、富山到着前の何故か爆音で流れるペールギュントの朝で目が覚めると、いつの間にか進行方向が逆になっている。車窓には、散村で有名な砺波平野の朝の風景。
福井にはあとから出るサンダーバードが先につくので急いでいる人は金沢乗換していましたね。
金沢駅には白山うどん(なぜかお多福じゃない)があって、そこで朝食が定番でした。
ゴーゴーカレーや8番屋、まいもん寿司などの観光向けの店はまだ駅にはありませんでした。
とても懐かしく思い出しました。
地震の件でこの動画に来ました。能登の人々の1日も早い安泰をお祈りします。
信越本線の横川ー軽井沢間よりも、急行能登よりも、489系ボンネットが一番最後まで生き残った・・・
能登号が金沢まで短縮された時は
急に東京が遠くなったように感じて寂しくなったのを思い出しました
ですが北陸新幹線の延伸でまた福井と東京が1本で繋がりますね
開業が楽しみです
今もう…この路線に夜行列車はないんですね…
アラサーだけどガキの頃でもこのボンネット車輌は異質で迫力あったなぁ
中高生の頃何度も乗ったけど本当に楽しかった
【赤羽】、【大宮】、上尾、桶川、鴻巣、熊谷、【高崎】、横川、軽井沢、小諸、上田、【長野】、妙高高原、新井、高田、直江津
糸魚川、泊、入善、黒部、魚津、滑川、【富山】、小杉、高岡、石動、津幡、【金沢】、松任、小松、加賀温泉、あわら温泉、【福井】
上尾や桶川もとまってたんですね超乗りたかった
今なら浦和も完全にとまってたでしょうね
それから上越妙高旧脇野田もとまってたでしょうね
このホームライナーから能登になるヘッドマーク外し、当時帰宅中に上野で乗り換える時間と合っててすごい良く見てたわ。
懐かしい動画ありがとう!
3:22
昔、ホームライナー古河で聞きました。あまりに間抜け(いい意味で)で椅子から落ちそうになりましたw
寝過ごして富山まで来ちゃったけど、今なら新幹線で東京まであっという間に帰れるから時代の流れを感じるよね。
鉄道唱歌でもかなりアレンジしていて、格好よく感じました。
あとラウンジカーは上越線経由に変更された以降も連結はされていて、
営業こそしてませんが、ソファーに座ることはできました。
急行能登乗りたかったな...
ばーちゃんが夜に乗って金沢行った話を聞きましたね
羨ましい。こんな長旅も素敵です
相当乗りまくった!
発車メロディがかっこいい
懐かしいです。
信越本線経由で乗ってました。
自分が乗っていた車両はもっと古かったような気がします
この頃はあさまや白山の車両だったんですね
懐かしい。飲み会の帰りによく乗ったなぁ。酔っ払ってデッキに座って。
信越本線経由の時は鉄道唱歌だったんですね。上越線周りで行ったときに乗った489系が美しき青きドナウだったような気がしたので。
クハ489-1の編成以外のサロ489のグリーン車の車内放送のメインチャイムが「美しき青きドナウ」でした。かつては、チーフはグリーン車に陣取り、運転扱いの車掌が最後部に乗務して補佐していました。後に、チーフが最後部で全ての業務を行い、サロには特改が乗務するようになり、「美しき青きドナウ」は滅多に聞くことが出来なくなりました。
主な駅の到着時刻
大宮 0時26分
長野 3時18分
金沢 6時52分
福井 7時50分
🙂また配信されたので見ています。改めて見て思う事は 夜行列車って 暗い夜道を走るので 車窓の景色は楽しめませんが 夜間ならではの雰囲気が好きです。今では夜行列車は サンライズしかないのは とても残念です。もし現在でも JRではなく国鉄として存続していたら? 今とは違う現実があったかもしれませんね✨
そうだった。高崎線の普通列車の最終が出発した後に、運行されていたためか、最終列車に乗り損ねたビジネスマンのために、上尾、桶川、鴻巣停車で、熊谷までは、ビジネス急行の役割を果たしていた。あと、火曜サスペンス劇場の「北陸本線の死角」で、トリック列車としても、使われていた。
最終列車とあって、山手線からの接続待ちでいつも数分遅れて発車していたように思います。しかし、ダイヤに余裕があり、大宮発車時には定時に戻っていましたね。
要するに「ホームライナー」代わりですね!
この列車の経路は、1965年から1982年まで、上野と福井の間を走っていた夜行の急行列車の越前と同じだったと思います。
Cielo Estrellado半低音+「急行」能登号放送はいいですねぇ…
489系ははくたか運用もあったのですね
なんかお湯が沸いたときに流れそうな鉄道唱歌で草
この時代高崎線特急街道でロマンあって
良いよな 福井着いたら何の運用に入ってたの 北越 しらさぎ❓
この頃幼稚園だったから全く分からん…
9:09 可愛らしい鉄道唱歌の音楽
若い頃、ホームライナーがわりに上尾まで利用してました。
今の上野駅はCiello Estrelladoは使われていないのでしょうね。個人的に好きな発車メロディーです
あと、まだ停車駅が多かった頃ですね、鉄道ダイヤ情報の碓氷峠が廃止になる前に取材していたものを見たので知っていました
福井に単身赴任していた時に使いました。たまに能登のときあり
ホームライナー鴻巣、白山…はくたか…雷鳥…能登
何もかもがみんななくなってしまいました……💦😖💦
昔高崎線の終電逃した男が『能登』に乗って富山まで寝過ごしたって歌?がありましたねw
長野新幹線開業してから、上越線経由に変更した。
夜行急行になる前は北陸号と並ぶ北陸へ向かう寝台急行でしたね…その寝台当時の映像って有りますかね❔…
一度だけ乗った。
ムーンライトと違って、車内が暗くなった事に驚いた。
今、思えば至福の時間だったな。
鉄オタでなかったから単なる移動手段としか考えていなかった。
急行きたぐには、583系でしたが、能登は、489系(福井までなので、交直両用ですね。)ですか。越前という急行がありましたが、これは客車だったのでしょうか。信越線も新幹線の登場で、途中バスになるわ、第3セクターになるわ、悲しい運命をたどっています。北陸新幹線が全通したら、金沢<>敦賀間などどうなるのでしょうか。
短距離の急行券は安かったのですね!
急行券は安かったですね。後に、新特急や急行格上げで登場した短距離特急走行区間中心に従来の特急料金より安いB特急料金の設定がされました。
スーパーベルズにも高崎線の最終高崎ゆきに乗れずにガッカリしてたら、急行能登があり乗車できたのも束の間
富山まで寝過ごして鱒の寿司買ってたな
サボに特急信州福井行きなんてあるけどそんな列車存在してたのか?
はい、存在していましたよ。
長野行新幹線(現北陸新幹線)が長野オリンピック開催に先駆けて開業した際に、長野から福井までを、特急信州で運転していました。
私は乗車してはいないですが、いつの間にかなくなっていましたね。
サボが「しらさぎ」。名古屋へも、行っていたのか?
金沢の489系は定期「しらさぎ」「北越」、臨時列車で「雷鳥」「加越」などにも使用されていました。
1:14~ ブロワーファン起動
489)よし。福井まで行くとするかの。
停車駅と時刻
上野 23時58分発(9号車先頭)
赤羽 0時11分
大宮 0時26分
上尾 0時36分
桶川 0時40分
鴻巣 0時48分
熊谷 1時03分
高崎 1時33分
横川 1時56分
軽井沢 2時21分
小諸 2時40分
上田 2時53分
長野 3時18分
妙高高原 3時55分
新井 4時13分
高田 4時22分
直江津 4時31分(進行方向変わります)
(1号車先頭)
糸魚川 5時02分
泊 5時22分
入善 5時27分
黒部 5時36分
魚津 5時42分
滑川 5時49分
富山 6時02分
小杉 6時13分
高岡 6時20分
石動 6時31分
津幡 6時42分
金沢 6時52分
松任 7時01分
小松 7時15分
加賀温泉 7時25分
あわら温泉 7時37分
福井 7時50分着
←長野・福井 上野→
9 8 7 6 5 4 3 2 1
旅情を感じられるのが国鉄型特急の醍醐味。